明ケ島 妖怪研修レポート 5月25日~26日【オオバ】

毎年恒例の秋葉山キャンプですが、今年は少し毛色が変わり、炭焼きの杜 明ケ島キャンプ場にて行われることとなりました。昨年に続き2回目の参加となる、オオバのレポートです。
場所が変わった為なのかは分かりませんが、昨年は無かった、研修の「テーマ」を設けたと、ある日突然マツヤマさんから告げられた所から、今回の研修はすでに始まっていたのでした。

そのテーマとは、「妖怪」について。
「私が思う妖怪とは何か」というレポートを、全員が事前に提出し、今回の研修へと挑みました。

私はちょうど、マツヤマさんからお借りした、京極夏彦の「巷説百物語」という本を読んでいる最中でした。

舞台は江戸、登場人物たちが怪異や妖怪にまつわる不可解な事件を解決していく物語。一件妖怪の仕業の様な奇怪な出来事が起きますが、その実は、人間の欲や業による哀しい事件であったりするのです。
この本に大分引っ張られる形になりましたが、私の思う「妖怪」とは以下のように考えました。

『当時の科学では解明できない不思議な現象を説明するために、架空の「生物」や「物語」としてをつくり出されたもの。人に伝わりやすい、後々に語り継いで行ける様、物語りの形式をとったのではないか。目的としては2つあると考え、1つ目は、してはならないこと、注意するべきこと(場所)がある時に、教訓めいて使用される。2つ目は、悲しい出来事があったときに(子どもが行方不明等)、何かのせいにして慰める為ではないだろうか。』

この様にレポートを提出した際のマツヤマさんの反応は、
「いいねぇ~(ニヤリ)」
おそらく想定の範疇だったのでしょう(笑)。
そして、用意されている答えは、もっと違う形のものなのでしょう。
研修の日まで、さらに妖怪ってなんだろうと考えて過ごしましたが、答えらしきものは出ず、当日を迎える事となりました。

研修は朝一から始まるのですが、私は仕事がどうしても片付かず、16時より現地にて合流しました。ちょうどゼキさんがお昼寝をし、他のMDメンバーは川で遊んだりフライをしているところにでした。

今回はインターンのドイさん、そして、昨年まで一緒にお仕事をしてくれていたヒトミさんも一緒です。私を含め9名での研修となります。

 


夕飯のすき焼きを作り食べ、日が傾いてきたところからマツヤマさんの「妖怪講義」が始まりました。

 

事前に提出したレポートを各自読み上げます。
マツヤマさんを除く、8名分のレポートになると、視点や表現もまたそれぞれに変わるものだなと実感します。
私としては、ヒトミさんの人の心を映す「鏡」という表現が美しいと思い、カナスギさんの「一種のカテゴライズ」という考察になるほど!と思わされました。

普段仕事で顔を合わせていても、同一の案件で議論するという機会にはなかなか恵まれません。こうして一つの物ごとに、みんなであれやこれやと意見を言い合い、違う視点を貰えることも、研修の一つの成果であるなと思います。
これからどんなに時代が進み、遠隔勤務などが増えていっても、直接言葉を交わす時間、コミュニケーションは無くしてはいけないと痛感します。

各自のレポート発表後、松山さんからの「答え合せ」がありました。
皆さんにも共有できる様、順を追って書いていきたいと思います。

・まず、妖怪と幽霊は別物です。幽霊は個人が特定できますが(あの辺りには○○さんの幽霊が出る!など)、妖怪は違います。
・そもそも「妖怪」という言葉が出始めたのはいつからでしょう?それは江戸時代の後期からです。
・では、それ以前には「妖怪」は居なかったのでしょうか?いいえ、そんなことは有りません。「何か」が居ました。

その「何か」こそが妖怪の素なのです。

「何か」のルーツは、明治43年に発表された、柳田國男の説話集「遠野物語」にあります。
これは、当時学生であった佐々木 喜善の語った遠野地方の伝承を書き記したもので、特に教訓めいたり落ちがあったりするわけでは無い、事実かどうかの判断もできない、地方の伝承をただ書き記していったものです。

例えば、このような話が有ります。
死助の山には5月の閑古鳥の鳴く頃になるとカッコ花が咲き、遠野の女や子供達はこれを採りに山へ行く。酢に漬けておけば紫色になり、酸漿の実のように吹いて遊ぶこともあり、若い者達の恰好の娯楽となっている。(50話)

山には様々な鳥が生息しているが、最も寂しい声で鳴くのはオット鳥である。夏の夜中に大槌町の方からやって来る駄賃付けの者などが峠を越える際、谷底の方から聞こえてくるという。この泣き声には謂れがあり、かつて長者の娘が親しくしていた男と山へ行った時のこと、気がつくと男の姿を見失ってしまったという。娘は夜になるまで探し続けたが、結局見つける事ができず、終に鳥になり、哀れな泣き声で探し続けているという。(51話)

郭公と時鳥は前世で姉妹であったと伝えられている。ある時、姉が掘った芋を焼き、周りの堅い部分を自分が食べ、真ん中の部分を妹に与えた。すると、妹は姉がおいしい部分を独り占めしているものと考え、憎らしくなり姉を包丁で殺してしまった。姉は鳥になり、方言で堅い部分を意味する「ガンコ、ガンコ」と鳴いて飛び去ってしまった。妹は姉が自分によい部分をくれていたのだと気づくも悔恨にさいなまれ、同じく鳥となって「包丁かけた」と鳴いているのだという。(53話)

この時点では「妖怪」という言葉も、妖怪の名も出ては来ませんが、気味の悪い「何か」の存在感、影を感じることができます。
それは、当時の科学で説明できない、とはいえ神様とも言えない「何か」
何にもカテゴライズできない、残り物。残滓。

それがすなわち後に「妖怪」と呼ばれるものの正体なのです。

そして、その後江戸時代に登場したのが『画図百鬼夜行』で有名な鳥山石燕。ついに「妖怪」が名前と姿をもって現れます。
そして、近年では皆が知る水木しげるも登場し、妖怪はよりキャラクター的に、もの語りも肉付けされ、広く語られるようになっていきます。

デザインを考案する過程で、マツヤマさんは良く「呪」の話をされます。
夢枕獏の「陰陽師」のなかにも登場する、ある「ものごと」に「呪」をかけることによって、そのものが成り立つという話が有ります。
一番短い呪は「名前」だと言われ、石には「石」という呪が、砂には「砂」という呪がかけられている。人間にももちろん「姓+名」の呪がかかっている。

デザインとは、まだ名前の無い「なんか良いモノ」に名前や色などの「呪」をかけて形にしていくものなのです。

つまり、それは今回の「妖怪」誕生までの過程と、とても近しいものであったのです。

なんだか良いもの・美しいものに「呪」をかけるのが、私たちの仕事(デザイン)なのだとすると、対極にある、なんだか怖いもの・嫌な物に「呪」をかけたのが『妖怪』。

私たちは仕事柄もあり「良いもの・美しいもの・面白いもの」へのアンテナは張っていますが、「怖いもの・気味の悪いもの」には目を伏せ、蓋をしがちです。

しかし、この対極にある2つの感情・感覚は、振り子のように一対のものであるとも考えられます。どちらか一方では成り立たない、光があるから闇がある、闇があるから光を感じるような、つながった一枚の布の上にあるものなのです。

「美しいもの」への感覚を研ぎ澄ませるには、同様に「怖いもの、気味の悪いもの」への感覚も決して無視はできないのです。振り子のふり幅を広げるためには、両方の世界への興味と理解が必要なのです。

電気が無く、今よりも暗闇が多かった時代と違い、近年では、「怖いもの・気味の悪いもの」に触れる機会もぐっと減ってしまっているのだと思います。だからこそ忘れてしまいがちですが、綺麗なものを見たい!と思う感情と同様に、無くしてはならないな、と思いました。

そして、私たちが普段行っているアウトドア活動は、暗闇や危機感に触れる機会が通常の生活よりも多くあると思います。これは「もう一つの感情」のふり幅を増やす貴重な機会にもなっているのかもしれません。

なんと、この「妖怪講義」には、最後に「実習」が設けられていました。
何とも斬新な研修です。実習で使われたのは、マツヤマさん愛用の「御朱印帳」でした。しかし物質的にはただの紙と布です。それが大活躍したのですが詳しい内容は秘密です。

ただの紙に価値をもたらす。これも「呪」だな、「デザイン」だな、と感じた夜でした。

テントに戻ったらゼキさんがこんな写真を撮っていました。

月のの外側に光る輪っか。偶然あらわれた神々しい光景。妖怪講義の日に現れるなんて、何かの予兆かもしれない…と、つい考えてしまいそうなシチュエーションでした。

昨年のカヤックも、とても楽しく有意義な体験でした。今年の研修はまた違った角度から「学んだ」と実感できるものでした。

今年の春から、私はシオダ先生のマーケティング・ソフト研究会に参加させて頂いています。私の力量ではまだ早いのではと思いましたが、マツヤマさんの思う所も感じ取れましたので、お言葉に甘え、お勉強させて頂くことにいたしました。

ちょうど5月末の講義で教わったのが「仮設検証法」というものでした。その中で、
「企画とはプランの事ではないんだよ。プランとは計画の事で、企画とはデザインなんだ。
デザインを実現するための過程がプランなんだ。」
「そして、それは人の心の奥底に眠っているものなんだ。」
「コンピューターや数字、理屈や予測では測れないものなんだ。」
というお話が有りました。

その、コンピュータで測れない、予測のできないものを、机上ではなく実体験させて貰えたのが今回の研修でした。私とっては、言葉でも体験でも学ばせて頂いた、とても貴重でお得な機会となりました。
だからこそ還元していかないと、と思います。

これから、先生のセミナーも佳境に入り、アウトドア的にも外に出やすいシーズンになります。(キャンプは暑いけど。)今回学んだもの、これから学ばせて頂くものを、机の上でも屋外でも今一度かみしめて、より多くのものを吸収したいと思います。そして、仕事の上でアウトプットできるようにしていきたいです。

アウトプット面での実力もまだ足りないと感じますが(だから研修にも遅刻してしまったのですが…)、インプットには「今、この時」がとても大切だと様々な場面で気づかされます。「また後で」ではだめなのです。後や次は無いのです。
貴重な体験をした直後だからこそ、この感覚が残っているうちに、どんどん外に出ていきたいと思います。

ということで、今週末はキャンプ(プライベート)、来週からは「アウトドアの学校」1日目!
楽しんで頑張りたいと思います!

【オオバ】

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